岡田小学校手前で、常念岳がもっと近くに見えます。やがて岡田神社の鳥居があり、まもなく岡田宿に入ります。この鳥居から西へ500m先に本宮があります。
岡田松岡付近 |
岡田神社鳥居 |
岡田宿は正保四年(1647)に、松本藩(水野氏)が松本と刈谷原の距離があるため近在の農家を集めて新宿としました。松本宿からは一里十町(5.4km)、刈谷原宿へは一里ニ十八町(5.3km)です。洗馬宿から五里二十町(22.3km)歩いたことになりますが、まだ三つの大きな峠はこの先です。
岡田宿 |
本陣跡付近の道祖神 |
宿場の外れで道なりに右折、すぐ保福寺(ほふくじ)越道との分岐点があり、善光寺道はここを左折します。
保福寺街道は松本藩が江戸道として参勤に使われていました。この街道は保福寺峠(1,345)を越え上田に至る東山道です。東国の防人たちもこの峠を越えて西国へ向かった古道です。日本アルプスを世界に紹介したウエストンも上田からこの峠を越え松本、上高地、穂高へと入ったらしい。
松本方面 |
保福寺街道分岐 |
善光寺道に入ると前方に本日最初の難所、刈谷原峠(1020m)方面の山が見えます。刈谷原峠は400m強の標高差です。
刈谷原峠方面 |
道祖神 |
国道254のガードを潜り、道なりに1km登って行くと馬飼峠(943m)の分岐点です。ここは道標通り右へ進みます。やがて舗装が終わり、往時の街道の雰囲気ですが、刈谷原宿までは残念ながら新たにつくられた林道です。ただ所々に馬頭観音や道祖神があり、善光寺道であることを示しています。
レポータの足で、馬飼峠分岐点から30分弱で刈谷原峠(1020m)に到着。案内板には920mとなっていますが100m間違っています。レポータを疑う方は国土地理院の地図(等高線の間隔は10m)で確認されたし。
峠に西側(峠写真の岡田宿方面に向かって右)に往時三軒の茶店あったそうで、その古井戸跡や石垣が残っています。
刈谷原峠 |
古井戸の跡 |
刈谷原峠から会田宿(現松本市四賀(しが)支所付近が最低地点)まで約10kmは下りになります。その前の刈谷原宿までは一気に標高差で約240m下ります。
刈谷原方面の林道 |
刈谷原峠から善光寺道はこの林道ではなく、このすぐ右にある登り気味の狭い道が旧道のようです。レポータは間違え、かなり下ったところで気付きましたが戻る気力がありませんでした。 |
峠から500m程度下ると林道開削時に旧道から集められた道祖神があり、ここに来て、一里塚跡の案内板を見つけられず、ルートミスに気が付きました。峠から1.3kmで林道の分岐点にでます。刈谷原宿はすぐです。
集められた道祖神 |
まもなく刈谷原宿 |
拡大地図
善光寺西街道