刈谷原宿(かりやはら)宿

 林道の分岐点から50m程度で左折すると刈谷原宿が見えてきます。
 刈谷原宿は「三町(330m)程相対して巷なす」とあるように小宿場で享保(1716〜1736)年間に完備し、弘化ニ年(1845)の大火で全焼、のちに復興し、幕末には家数70、本陣・脇本陣は中沢家が勤めています。


先が刈谷原宿

刈谷原宿上部から

「栗・こわ飯・甘酒」が名物であったそうですが、現在はお店がありません。
 資料によると本陣跡(上問屋)は案内板があったようですが見当たりません。下問屋(しものといや)の中沢家の松は素晴らしい。


連子格子の旧家

下の問屋(中沢家)

 刈谷原宿の外れ(善光寺方面)は直角に曲がっており、振返るとかなりな斜面です。約330mで50mの標高差、雪が積もっていて、上部で滑ったらきっとこの土蔵に激突するだろう。道なりさらに次の角をまがります。


刈谷原峠方面

角の土蔵

 善光寺道は国道143号を横切ります。横切ってすぐ「羊冢」の碑があり、少し行くと洞光寺参道です。


国道143号

羊冢と読めるが

 さらに進むと広い車道(旧国道143号か)に出ます。車道へ出て1.5km強進み、沢屋で善光寺道は左に入ります。


車道の手前の廃屋

車道から会田方面

 沢屋でに入り、さらに300m進むと、洗馬から8番目の板場一里塚跡の標柱に至ります。


善光寺道は左

板場一里塚跡

 一里塚跡からさらに進むと、善光寺道は先ほどの車道を横切ります。その手前に祠があり、車道を横切るとまもなくイチョウの紅葉が盛りの浄雲寺に出ます。



浄雲寺

 まもなく会田(あいだ)宿です。写真右の正面は会田の街並と、次の難所、立峠(たちとうげ)方面。現在は松本市ですが、平成の大合併前は四賀村でした。庁舎が非常に豪華で、ここを過ぎて会田川を渡ってからが会田宿になります。


朽ちかけた道祖神

会田宿を望む


拡大地図

善光寺西街道

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