7. 東海道 平塚ひらつか宿
江戸へ  16里(62.8km) ← 藤沢宿 3里18町(13.7km) → 大磯宿 27町(2.9km)
<江戸時代(天保年間[1843年])頃のようす>
 宿場の町並で、南は御林から海辺になっており、北は田畑と御林である。
 田んぼより畑の方が多く、用水は中原村・南原村の小溝から取っていて、飲水は堀井戸である。
 農業の他、男は漁業や草鞋(わらじ)を作っていて、女は木綿を織り、その他の手仕事はない。
 五穀の他、季節の野菜を作る。市が立つこともない。
 米の積出しは大磯浦と須賀浦へ27町、そこから江戸へ海上20里程。
 宿場は海に近く漁業が盛んである。鯛・鯵・鰯・鯖などの小魚が取れる。
 また漁船が4艘、幕府の魚の調達に使われ、魚類を江戸新材木町に納めている。
 漁業の運上金は領主に納めている。
 花水橋下付近の宿内の秣(まぐさ)場を唐ヶ原と言っている。
  国・郡   相模国大住郡
管轄 大久保加賀守領分
合高 692石8斗9合
町並 東西 14町6間
  尺貫法換算
家数 443 軒
人口計 2,114 人
男女 男 1,106、女 1,008
本陣 脇本陣 本陣 2
旅籠屋 大 2 中 29 小 23 計 54軒


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