東海道宿場マップ » 平塚宿
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<江戸時代(天保年間[1843年])頃のようす>
宿場の町並で、南は御林から海辺になっており、北は田畑と御林である。 田んぼより畑の方が多く、用水は中原村・南原村の小溝から取っていて、飲水は堀井戸である。 農業の他、男は漁業や草鞋(わらじ)を作っていて、女は木綿を織り、その他の手仕事はない。 五穀の他、季節の野菜を作る。市が立つこともない。 米の積出しは大磯浦と須賀浦へ27町、そこから江戸へ海上20里程。 宿場は海に近く漁業が盛んである。鯛・鯵・鰯・鯖などの小魚が取れる。 また漁船が4艘、幕府の魚の調達に使われ、魚類を江戸新材木町に納めている。 漁業の運上金は領主に納めている。 花水橋下付近の宿内の秣(まぐさ)場を唐ヶ原と言っている。 |
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