6. 東海道 藤沢ふじさわ宿
江戸へ  12里18町(49.1km) ← 戸塚宿 2里(7.9km) → 平塚宿 3里18町(13.7km)
<江戸時代(天保年間[1843年])頃のようす>
街道の両側は家並みで余地は並木である。
田んぼより畑の方が多く、用水は白旗川から取っていて、飲水は堀井戸である。
農業のほか街道を往来する旅人の旅籠屋、茶店等、いろんな商人が多い。
宿場の男は藁細工・薪取り等の作業をし、女は機を織る。その他の手作業はない。
五穀以外、野菜は作っていない。
毎月一・六が付く日に市が立つ。
米の積出しは片瀬村河岸へ1里、そこから江戸ね海上24里程。
鷹を訓練するための御捉飼場(おとりかえば)がある。
宿内往還から64間程入ったところに御殿場(将軍専用の宿泊所および鷹狩場)という所がある。
宿内往還から30間程入ったところに首洗の井と呼ばれる井戸がある。
宿内往還3町半程入ったところに稗1614俵を所蔵する御蔵がある。
1里程入った大庭村には大庭三郎居城の跡がある。
四ッ谷から大山石尊道が別れ、毎年6月末から7月中旬まで、江戸をはじめ、諸国からの参拝者でにぎあう。
宿内清浄光寺は名高い藤沢遊行寺で、宝物が多く、寺の惣門前には下馬札がある。
  国・郡   相模国鎌倉郡、高座郡
管轄 江川太郎佐衛門御代官所
合高 1559石8斗4升
町並 東西 12町17間
  尺貫法換算
家数 919 軒
人口計 4,089 人
男女 男 2,046、女 2,043
本陣 脇本陣 本陣 1、脇本陣 1
旅籠屋 大 10 中 15 小 20 計 45軒


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