東海道宿場マップ » 戸塚宿
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<江戸時代(天保年間[1843年])頃のようす>
両側は家並で、余地は並木である。田と畑の割合は同じで、堀の水を使っているが、この水は汚く灌漑用にしか使えない。 農業の他、旅籠屋は旅人の休泊、飲食を供する茶店があり、その他の商人もいる。 五穀の他に作物はなく、市が立つこともない。 宿場の男は縄・むしろをおり、女は糸をとり機を織る。その他の手作業はない。 米の津出し神奈川宿川嶋河岸へ3里半、ここから江戸へ海上およそ10里程。 鷹を訓練するための御捉飼場(おとりかえば)がある。 この地の一帯は平地で山坂はなく、見渡す山々もない。 |
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江戸時代の旅人の歩く距離は10里/日で戸塚宿は1泊目の宿となることが多く、「東海道中膝栗毛」の弥次郎兵衛と喜多八も戸塚で泊まっています。
戸塚の由来は「富塚」「十塚」「豊塚」という三つの由来があります。 富塚八幡(戸塚町)の縁起には、平安時代の後期、戸塚修六郎友晴及びその子孫がこの地の開発に努力したので「戸塚」と呼ぶようになったとしるされています。 |