宿村大概帳 藤沢宿の項に記載されている「藤沢宿雑之部」戻る | |
藤澤宿雑之部
一、此宿榜示杭下俣野村堺壱ヶ所、稲荷村境壱有之、 建替之節ハ支配御代官差図を請、宿方入用にて取扱来、 一、此宿両側家並にて其余ハ並木也、 一、此宿田ゟ畑多し、用水ハ白旗川ゟ引取、流末ハ堺川 落る、 一、呑水ハ堀井を用ゆ、 一、農業之間旅籠屋ハ旅人の休泊を請、又ハ食物を商ふ 茶店有之、其外諸商人多し、 一、此宿男ハ藁細工・薪栫等いたし、女は糸をとり機を おる、其外仕馴たる手作業なし、 一、五穀之外時々の野菜を作り候儀無之、 一、此宿毎月一・六之日市立有之 一、米の津出し片瀬村河岸に壱里、夫より江戸迄弐拾四 里程、 一、竹木の類船積・筏下ヶなし、 一、字堺川有、幅大概拾弐間程、橋渡り也、此の川水元 ハ武州八王子ゟ流れ来、流末ハ片瀬川ゟ海に落る、 一、此宿御捉飼場也、 一、宿内往還ゟ六拾四間程引込御殿場と名付候場所有之 一、宿内往還ゟ三拾間余引込首濯の井と唱へ候井有之 一、宿内往還ゟ三町半程引込御蔵壱ヶ所有之、是ハ寛政 七卯年新規御普請有之、御買上御囲稗千六拾四俵余詰 有之候由、 一、此宿ゟ壱里程引込大庭村地内大庭三郎居城の跡之由 申伝候場所有之、 一、此宿中程字四ッ谷ゟ相州大山石尊道有之、毎年六月 末ゟ七月中此迄、江戸并諸国ゟ参詣人群集致ス、 一、此宿内清浄光寺之儀ハ、世に名高藤沢遊行寺にて宝 物多有之由、且右寺惣門前下馬札有之、 一、宿内一躰平地にハ候得共、小坂有之候場所も有之、 見渡し山々有之、且此宿ゟ隣村又は田畑耕地に出る小 道有之とも、重立候脇道なし、 |