東海道宿場マップ » 神奈川宿
|
|||||||||||||||||||||
<江戸時代(天保年間[1843年])頃のようす>
街道の両側は家並みで余地は並木、裏は田畑となっている。 田より畑が多く、用水は溜井戸で、呑水は堀井戸である。 農業の他、旅籠屋は旅人の休泊、飲食を供する茶店があり、その他の商人も多い。 宿場の男は街道を行き交う荷物運搬、女は店で働き、春の頃は蛤・鯏(はまぐり・あさり)を売っている。その他の作業はない。 五穀の他に、季節の野菜を作る。 月毎に市が立つことはない。 米の積み出しは宿付近の海辺まで3町、そこから江戸へ海上11里。 竹木類の積み出しはない。 海辺では、あゆなめ・鰈・平目・海老・きす・魥(こち)・めばるなど小魚漁を行なっていて江戸の魚問屋に出荷している。 宿内の入江の中ほどの船泊の東に献上用の鯛を飼っていて、冬から春までは海が浅く、魚を出荷できないため浦賀方面の囲い場に移している。 西立場の坂の上からの入江の風景は素晴らしい。 またこの宿場には御殿(将軍専用の宿泊所)跡があったと言われている。 鷹を訓練するための御捉飼場(おとりかえば)がある。 |
|||||||||||||||||||||
|
神奈川宿という地名が県の名前や区の名前の由来となっていますが、関東大震災や横浜大空襲(太平洋戦争)で、歴史的遺産の多くを失い、現在、宿場時代のものはほとんどありません。
入江の景色(現在はほとんど埋立てられている)もよく、漁業が盛んであったことが宿村大概帳からも伺われ、さらに魚料理も有名であったことが古典落語の端々に登場します。「大山詣り」は神奈川宿で飲食した後に大騒ぎになります。 |