東海道宿場マップ » 保土ヶ谷宿
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<江戸時代(天保年間[1843年])頃のようす>
両側は家並で、余地は並木である。田より畑が多く、その用水は今井川と帷子川から取っている。飲水は掘り井戸や左右の山の清水を用いている。 農業と旅籠屋を営み、その他茶店があり、他にもいろんな商人が多い。 宿場の男は往還稼ぎや縄・筵細工をしている。女は木綿を織っており、その他の手作業はない。 五穀の他に、季節の野菜を作る。 月毎に市が立つことはない。 米の積み出しは神奈川川岸へ1里、そこから江戸へ海上11里。 竹木類の積み出しはない。真木の出荷はあり、帷子川から満潮時に川を下り、神奈川海辺で船積みして江戸運んでいる。 鷹を訓練するための御捉飼場(おとりかえば)がある。 |
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保土ヶ谷宿は、慶長6年(1601)東海道に宿駅伝馬制度が始められたとき、伝馬宿として指定されました。最初東海道は37の宿駅が指定され神奈川、保土ヶ谷、藤沢でした。保土ヶ谷~藤沢間は4里9町(約17.2km)と距離があり、箱根以東において、この間は起伏も多く両宿の負担は大きかった。そのため戸塚町ではモグリで、人馬を出して駄賃稼ぎをしたり、旅人を宿泊させていたりしていました。戸塚町では保土ヶ谷宿の応援もあり、宿場として認めてくれるよう幕府に嘆願し、慶長9年(1604)に正式な宿場として認められ、保土ヶ谷、戸塚間は2里9町(約8.8km)となりました。
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