東海道宿場マップ » 川崎宿
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<江戸時代(天保年間[1843年])頃のようす>
田より畑の方が少ない。用水は7里程度上流の多摩郡中野嶋村と4里程度上流の稲毛領橘樹郡宿河原村から取っている。 飲水は堀井戸で、川水もつかう。 農業の他、旅籠屋は旅人の休泊、飲食を供する茶店があり、その他の商人も多い。 宿場の男は往還稼で、女は木綿を織っており、その他の手作業はない。 五穀の他に、季節の野菜を作る。 月毎に市が立つことはない。 米の積み出しは羽田村まで川路1里、そこから江戸へ海上5里。 多摩川上流の村々、青梅・八王子辺りから竹木など船積み、筏下りがある。 六郷(多摩)川があり船渡である。通常川幅は69間(125m)程度で、増水すると83間(156m)程度になる。 この川は甲州一ノ瀬・丹波山、武州日原の山々の谷が水源で、稲荷新田の堺で海になる。 川高札場が宿内渡船場と八幡塚村にある。 |
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川崎宿は元和9年(1623)、品川・神奈川両宿の伝馬負担を軽減するために、東海道で最後に宿場に指定されました。
江戸初期には六郷川には橋が架けられていましたが、元禄元年(1688)の洪水以後、橋は再建されず、かわりに六郷の渡しが設けられました。当初は八幡塚村(東京都大田区)が請負っていましたが、宝永6年(1709)3月、川崎宿が請負うことになり、これによる渡船収入が宿財政を大きく支えました。 |